映像と音楽の距離感

「選曲家」という職業。

テレビや映画等に音楽を付けたり作ったりするセクションで、

簡単に見えて非常に奥が深い仕事である。


「選曲なんて誰でもできる。」なんてよく言われます。たしかにその通り。ある特定のシチュエーションに曲を探すのだが、厳密に言うと曲を選んで作品全体の音の構成を考える作業になってくる。その「選曲家」と呼ばれる人たちは「音を選ぶ」ことで映像に芸術性を付加している。つまり、選曲は芸術である。(曲を選ぶというシンプルな行為ではあるけれど)「映像と音楽の距離感」、ちょっと感覚的だがその距離感から生まれる選曲が芸術であると。

例えば、「ある男がケンカをしているアクションシーン」がある。

1,アップテンポなハードな曲を付ける。→アクションが強調されスリリングになる。

2,スローな悲しい曲を付ける→自分の意と反したケンカであるという、やるせなさを表現できる。

思いっきりベタな例ですがこの2つは「映像と音楽の距離感」が全く異なります。

普通は1番目の手法で、2番目の選曲手法は出来そうで出来ないものです。理由は映像(アクション)のテンポに音がマッチしてないからです。しかしそのミスマッチ感が新鮮だったりします。2番目の手法を最初にやった人は偉大だと思いますね。映像にマッチしない音を付けて別の感情を浮き彫りにする、これは芸術的じゃないでしょうか?

気がつけば自分も20年以上その選曲家をやってきましたが、いまだに選曲は難しいと感じます。なにしろ決定的な方法論がないし、マニュアルがない。”こういうシーンにはこういう曲”といった定番は存在しても、必ずしもそれが正解ではないし。その時の流行に左右されることもしばしばあるし、答えは無数にあるし。そんな選曲という仕事で監督やプロデューサーに喜んでもらうためには自分で創り上げた独自の距離感が必要になる。「喜んでもらうため」と書いたのは決して自分の嗜好に合う作品ばかりではないってことです。

自分があまり得意でないジャンルの音楽で構成しなければならないこともある、それがプロの仕事。

しかし面白いことに不得手なジャンルの音楽を使っても自分の距離感で音を付けてゆく。

その絶対的な距離感を持つことが選曲家の存在意義だったり品格であると感じています。


ちょっと前にこんな企画を考えました。

ある映像素材を用意して、使う曲は決まっていて何処にどういれるかは選曲家のセンスに委ねられる。これを何人かの選曲家でバトルをしたらかなり面白いものになるのではないか?選曲家それぞれが映像に対する接し方、距離感が違う、だけど使う素材は一緒。なんか「料理の鉄人」みたいだけど。

そもそも勝ち負けの問題ではないが、投票で勝者を決めるのもいい。実現するとしたらTVでは番組枠の制限があるから”USTREAM向け”の企画だが、「映像と音楽の距離感」がそれぞれの個性となって必ず実感出来るはず。選曲家に限らず、作曲家や音響効果さんといった音に携わる人はみんなその絶対的な距離感を持っていて、そのシンプルな感覚で様々な仕事をこなしている。自分の引き出しは一つでも、それに無限の奥行きを与えて日々努力している。演出家や作曲家だけでなく選曲家にも注目しても面白い。

真剣に考えてみようかな「選曲の鉄人」企画。




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